宮古島マラソン①|50代・がん経験者が一人で離島を走ることにした話

マラソン

その年の1月、私は石垣島マラソン(ハーフ)を走りました。

海の見える離島でマラソンを走るというのは、それまでの自分にはなかった経験で、走り終えたあとに友人と居酒屋で飲みながら思ったのは「宮古島も走りたい」というシンプルな考え。しんどい思いをして走り終えた直後にまた走ることを考えているのだから不思議なもんです。

友人から「宮古島マラソンもええよ」と聞いていたこと、20代のころに一度行ったきりで久々に訪れたかったこと、そして何より次の目標が欲しかった。
ビールを飲みながら「よし、次は宮古島にしよ」と決めた。石垣島と宮古島、沖縄の離島マラソンを走る。我ながらちょっとええ響きやなと思った。

大事な決断がビールと一緒に決まることは多い。たぶん悪いことではない。

快晴の空のもと、さとうきび畑沿いのコースを走る。

離島マラソンを目指した理由│少し重くなる話

そもそもなぜ離島マラソンに興味を持ったのか。ここで少し個人的な話になります。

数年前、私は大腸がんを患いました。

告知を受けたとき、最初に頭をよぎったのは「これはあかんやつなんかも、えっ、死ぬとか?」という思いだった。ただ不思議なことに、恐怖というより、どこか他人事のような実感のなさがあった。最近はがんでも治るって言われてるし、と妙に冷静な自分もいた。

結局、別の病院で手術を受けることになったので、手続きに時間がかかり、告知から手術まで2ヶ月近くあきました。その間も仕事は続けたんですが…これはキツかったです。がんだとわかっている自分が、毎日普通に出勤して仕事をしないといけない。

入院が避けられないので職場にももちろん話しました。ただ周りは反応に困っていたと思う。でも、高額療養費制度の申請手続きを調べて動いてくれたり、できることはやろうとしてくれました。ありがたかい思いや今後の不安などいろいろな感情に包まれていました。

そして忘れられないのが、ある先輩のことで、2人きりになった場面で、その先輩は自分のことでもないのに涙を流していました。

親でも今までそんな涙してくれた記憶がない。ただただ感謝して、早く良くなってまた復帰するんだという想いを強くしました。この先輩には今も頭が上がりません。


術後の生活、そして「やりたいことはすぐやろう」という気持ち

手術は無事に終了。退院して数週間後、職場に復帰した日は手術跡がまだ痛みが残っており、通勤して帰ってくるだけで自分を褒めてやりたい気持ちだった。でも、またこの社会に戻ってこれたという感覚があった。これからどれくらい生きるのかわからないけど、何気ない日常をもっと大事にしないといけない、と思った。

術後は大腸の手術後あるあるで、排便障害が続きました。トイレが近い、突然来る、コントロールできない。体が新しい状態に慣れるまでに相当な時間がかかりました。今はだいぶマシになったけど元の状態にはもどりません、仕方ない。しかし、あの時期はなかなか辛かったです。

そういう経験を経て、精神的に変わったことがある。

「やりたいと思ったことは、できるだけすぐにやろう」と思うようになった。

それまでの自分を振り返ると、同じ会社で30年近く働いて、自分なりに挑戦したこともあったけど、たいして評価もされず出世もせず、友人も少ない。「底辺ではないけど、俺って中の下の人間やな」という感覚がずっとあった。50歳を超えて、今までなんとなくで生きてきたんやな、と気づかされた。

体が動くうちに、やったことのないことをやっておこう。地元でハーフマラソンは何度か走っていたけど、現地のマラソン大会に出るというのは、また別の経験になるんじゃないかと思った。単なる観光旅行じゃなくて、現地の人たちと同じスタートラインに立つ。それが離島マラソンへの入口だった。


レース3日前、友人から電話がかかってきた

宮古島マラソンには、沖縄在住の友人(石垣も一緒に走った)と一緒にエントリーした。

現地集合で、レースを走って、観光もして、夜は居酒屋行こう。飛行機もホテルも予約して、あとは当日を待つだけという段階まで来ていた。

ところがレース数日前、友人から電話がかかってきた。

身内に不幸があって、行けなくなった、と。相手がすごく申し訳なさそうにしていたから、こっちが逆に恐縮してしまった。「そんな、気にせんといてや」と言いながら電話を切ったけど、慰めてるのか慰められてるのかよくわからない電話やった。

まあ、戸惑いはあったけど「やめよう」とは一切思わなかった。

飛行機もホテルもキャンセルしたらお金はだいぶ取られる、というのもあったけど、そもそもそういう問題じゃなかった。友人のことは残念やったけど、自分は行く。それだけやった。


一人旅になって、むしろ楽しみが増えた件

こうして完全一人旅行になってしまい、やはり不安はありましたね。一人で飛行機に乗って沖縄本島に行ったことはあるけど、全日程が完全に一人というのはこれまでなかった。途中で寂しくなるかもなぁ、と。

ただ、電話を切ってすぐに、こうも思った。

これは一人居酒屋ができるチャンスや、と。

実は以前から、旅先の居酒屋で一人で飲むということに、密かに憧れていました。旅慣れた人がSNSに書いてるやつ。「地元の居酒屋でカウンターに座って、地酒とつまみで一人の時間を楽しむ」みたいなやつ。余裕こいてカッコつけてるけど本当は寂しいんちゃうん?と思いつつ、なんかあれに憧れていた。

「大丈夫、できる」と思いながら、何かの機会でいざとなると「まあ今日はいいか」とホテルでコンビニ飯を食べて終わる、というヘタレ人間なのです。

でも今回は違う。友人がいない。逃げ場がない。2泊もある。言い訳の余地がない。

これはやるしかない状況が整った、と静かに思った。友人には申し訳ないけど。

沖縄の小さな居酒屋 夜の暖かい灯り
(イメージ)こういう雰囲気の店に、一人で入れるか—それが今回の密かな挑戦だった

いざ出発│一人が苦じゃない人間の、ささやかな旅

出発前日、荷物を準備しながら忘れ物がないか何度も確認した。旅行前はいつもそう。でも不思議とワクワクしていた。

もともと一人で行動することが多い人間なので、一人で飛行機に乗ってホテルに泊まること自体は苦じゃない。むしろ気楽で楽しみでもある。友達が少ないのが、ここでは逆に都合がいい。まあそれはそれでええことにしておこう。

伊良部大橋

こうして私の宮古島でのマラソンは、予定外の完全一人旅行としてスタートすることになった。

次回は現地到着からレース前日までを書きます。伊良部大橋と、一人居酒屋初挑戦の話。

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