手術が終わっても終わりじゃなかった|直腸がん経験者が書く、誰にも言えなかったこと

健康

「もう大丈夫なんか」

職場復帰の初日、上司にそう聞かれた。

「まあ、なんとか」と答えた。そんな大丈夫ちゃうけどな、と内心思いながら。

この記事は手術の話でも治療の話でもない。手術が終わった後のこと、周りには伝わらない孤独、5年間続く経過観察の不安、がん経験者にしかわからない感覚の話。

今まさに治療中の方、術後の生活に不安を感じている方、経過観察中で同じような気持ちを抱えている方に「自分だけじゃなかった」と感じてもらえたら良いなと思っています。

手術から職場復帰までの流れ

1月19日直腸がん手術
1月30日退院 自宅には戻らず実家へ
2月中旬朝のラッシュ時を避けて、少し時短で職場復帰(2月末まで)
3月1日フルタイムで職場復帰・自宅生活に戻る

退院後、まず実家に帰った

退院してすぐ、自分の家には戻らず実家に帰った。

退院直後はまだ自由に動けなかったため、自炊も難しいし何かあったときに一人では心細い。50代の男が手術後に実家に頼る、というのは少し恥ずかしいけど妥当な判断だったと思う。

食事は親に作ってもらってた。術後3ヶ月ほどは腸閉塞のリスクがある。そのため、消化の悪いものや繊維質の多いものは控えるよう言われていて、例えば、ごぼう、こんにゃく、油の多いもの、刺激物、こんな感じのものは食べないようにしていた。

そこまで厳格ルールではなかったけど、腸閉塞とか絶対なりたくなかったので全く食べなかった記憶がある。

そして2月中旬になって、痛みこそあるがようやくちゃんと動けるようになってきた。それまでの2週間は、親に甘えさせてもらっていた。

30年働いてきて、初めての「何もない2週間」

働き始めてから、予定も何もなく2週間過ごしたことがなかった。

意外にも妙に落ち着く感覚があった。そして、とにかく動いていたほうが体に良い気がして、昼間は外に出るようにしていた。
近所を数時間かけてぶらぶらしたり、学生のころよく行っていた商業施設まで出かけたり、何度か自宅にも立ち寄った。届いている郵便物の確認と日常の感覚を取り戻すためだ。

でもその穏やかな日々の裏側にずっと不安があった。

がんの手術では、切除した組織を詳しく検査して転移があるかどうかを確認する。その結果でステージが確定するらしい。その内容によっては抗がん剤治療が必要になることもある。
手術は終わったけれど、本当の意味での「治療終了」はまだ来ていない。そういう宙ぶらりんな状態で毎日を過ごしていた。

その間、またまた神社やお寺に行ってお参りをした。特別に信心深いわけではないけど「なんとか転移・抗がん剤治療がないようにお願いします」と手を合わせずにはいられなかった。それだけの不安があった。

夜中、一人でトイレにこもりながら思ったこと

術後に悩まされた夜中の不眠

術後のトイレ事情については、後でまとめて書く。ただ、一つだけ先に言っておきたいことがある。

何度か夜中に長時間トイレにこもることがあった。下腹部に痙攣のような激しい痛みが来て、1時間以上トイレから出られない。そういうときに思う。

「なんでこんな目に遭うのか…、こんなことがこの先ずっと続くのか…」

体のつらさと、先の見えない不安が重なって精神的に落ち込む。このつらさを理解してくれる人は少ない。周囲の人はもちろん心配してくれている。でも当事者にしかわからない感覚というものがある。

それが一番しんどいかもしれない。痛みそのものより、その孤独感。

病理検査の結果を聞いた日

自宅療養中に、病理検査の結果を聞きに行った。

結果が出る直前はまた不安におちいる。逃げ出したい気持ちでただただ祈っていた。なんとか転移がないように。

結果は転移なし。医師からは「ステージは2、抗がん剤治療はなくてもいけそう」と言われた。

嬉しいやら何やらで涙が出そうになった。出さなかったけど。
とりあえず一番心配をかけたであろう実家に報告した。そして治療はいったん終了となり、この先5年間にわたる経過観察の身になった。

術後3年までは3か月ごとに通院し、血液検査、CT検査、内視鏡検査(大腸カメラ)などを組み合わせて検査、3年を超えれば半年ごとに頻度を下げて通院する。5年経過すれば一応の寛解といった具合。

「失ったものを数えるな、残ったものを数えよ」

回復の記録 植物とノート

療養中にネットでいろいろと調べていた。同じ病気の人のブログ、術後の経験談、回復の記録。その中で出会った言葉がある。

「失ったものを数えるな、残ったものを数えよ」

当時の自分に一番響いた言葉だった。

がんになって、手術をして、できないことが増えた。以前と同じようには動けない。食べられないものもある。体力も落ちた。そういう「失ったもの」ばかりに目が向きがちな時期だった。

でもこの言葉に出会って、少しずつ気持ちが軽くなっていった。まだまだ暗い気持ちはあったけど、それでも、転移がなかった。仕事に戻れそう。歩ける。食べられる。
そういう「残ったもの」を数え始めると少しだけ前向きになれた。

職場復帰、術後のトイレ事情の正直なところ

2月中旬、少し時間を短くして職場に復帰。通常8時半のところを10時半出勤に。満員電車が怖かったからだ。くしゃみをするだけで手術創に響く状態だったので、ラッシュアワーに他人の体がぶつかってくることが怖かった。時間をずらして座って通勤できるだけで、精神的にも体力的にもだいぶ楽だった。

そして、復帰してからしんどかったのは、体力でも傷の痛みでもなくトイレのことだった。
事前に調べていてある程度は予測していたが……まあやっぱりしんどい。

医療サイトには「術後は排便習慣の変化が起こります」と書いてある。でもその一文では全然伝わらない。実際どういうことかというと——

職場でトイレに行く回数が1日10回近い日があって仕事にならない。
朝から肛門付近に鈍痛があって立っているのがつらい日もある。
痙攣のような激しい痛みが突然来て、1時間近くトイレから出られないこともあった(幸い職場ではならなかったが)。

我慢でどうにかなるレベルの話ではない。体がそうなってしまうのだからどうしようもない。もし会議中にそういう状態になったら、迷わず会議を欠席していたと思う。それくらいのことが術後の体には起きる。でも周りにはそれが見えない。見た目は普通なので。

じゃあもっと休養しとけばいいじゃないかという意見もあるかもしれない。
なぜ休養しないかというと、結局、このトイレ事情は数週間・数か月とかで治るものではなく、日常生活に戻りながら、数年以上かけてその状態に体を適応させていくしかないのが実情だから。
しかし、完全に元どおりにはならなくても必ず改善はしていく。

「もう大丈夫なんか」という言葉の重さ

復帰初日、上司に「もう大丈夫なんか」と聞かれた。「まあ、なんとか」と答えた。

最初の1週間くらいは周りも気を遣ってくれる。でもしばらく経てば、だんだん普通になる。それは仕方のないことで誰も責める気持ちはない。自分も周りの誰かがそういう状況になったとき、同じように接していると思う。

ただ、孤独ではあった。

手術が終わったら治った、と思っている人が周りには多い。がん治療がどういうものか、なったことがない人にはなかなかわからない。それは当然のこと。自分もそうだった。でも当事者になってみて初めてその孤独さがわかった。

5年間の経過観察という現実

直腸がんの術後は、5年間の経過観察がある。定期的に検査を受けて、再発や転移がないかを確認し続ける。

この5年間の経過観察のことを周りはあまり知らない。手術が終わったら「治った人」として扱われる。でも当事者にとって5年間は終わっていない。

検査のたびに緊張する。イメージとしては、漫画『カイジ』に出てくる「Eカード」のような感覚。おそらく大丈夫だと思う、でも下手を打ったら地獄、という緊張感がある(真面目に書いていますよ)。またあの苦しい日々に逆戻りか、という不安が頭をよぎる。

この不安、誰かに話してもあまり共感してもらえる感じはしない。私が勝手に経験者にしかわからないと思っているからかもしれないけど、周囲の人は言葉で理解してくれるだけだと思う。
別に批判するつもりはない。一人で抱えていくしかない不安というものが確かにある。

術後2年以上経過した今

術後2年以上が経ち普通の生活を取り戻した朝

手術から2年以上が経った。

一言でいうと「だいぶマシになってる」。

相変わらずトイレには時間がかかる。1回10分以上はざら。食後数時間は腸が不安定になることが多く、現在、仕事の日は昼食は食べないようにしてる。まだまだ不便。

でも、トイレの回数は1日1〜2回に落ち着いてきた。数だけでいえば普通の人と変わらない。自分なりに、調子をコントロールする方法も少しずつわかってきた。

健康なときを10とするなら、今は5くらいだと思う。手術直後はゼロだった。完全に10まで戻ることはない、医師からも言われているし自分自身でも理解している。でも、今後6や7には近づけると思っている。そう信じて今も少しずつ積み上げる。

「失ったものを数えるな。残ったものを数えよ」

この言葉に何度も助けられた。しんどいのはあなただけではない。そして、少しずつ、確実に、前に進んでいける。同じ経験をしている方に届いてほしい。

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