石垣島マラソン③|1月19日に走った話

マラソン

1月19日、当日の朝。

目が覚めたとき、最初に浮かんだのは

「無事に走れるかな」

そんな言葉がまず頭に浮かんだ。それでも考えても仕方ない。起きた。

当日の朝│体調はまあまあだけど…

朝ご飯はホテルのバイキングだったけど、これが毎回悩ましい。
食欲はあるのに、食べている途中でトイレに行きたくなってしまうからゆっくり食べられない。
食事を早食いで済ませ、友人に伝えてその場を離れる。
好きなものをたくさん食べて万全の状態でスタートしたいのに、それができない。
まあ自分で寝る前に便秘薬的なものを飲んでこの状況を作り出しているんですけどね(経験から生み出した対処法のひとつ)…これをしないと走っている最中が不安になるのですよ…あーあ。
こればかりは今でもなんとかならんのかなぁと思う。

とはいえ、走れるだけでありがたい。

そして友人と言葉を交わしながら準備をした。
ホテルから会場の陸上競技場まで歩いて30分くらい。
石垣島は日本の西にあるので日が昇るのは遅い。加えて1月なこともあり、ホテルを出てもまだ薄暗さが残っていた。その中を歩きながら体を温めていく感じでちょうどよかった。

スタート地点│やっと始まる

会場に着くと参加者がたくさんいた。

規模感でいうと、地元で出ているハーフマラソンと似たような感じやけど雰囲気が全然違う。
沖縄の離島、地元の人たちが沿道に出て盛り上げてくれている。
有名人も来て声をかけてくれていた(何たら坂グループのアイドルの人とか、誰やったか忘れた。すみません)。

友人と「自分のペースでゆっくり行こ」と話した。
友人もゆっくり走るタイプなので、タイムを狙うでもなく、無理をするでもなく、とにかく楽しみながら走り切ろう、という共通認識は前日からできていた。

空は快晴とまではいかず、薄く雲がかかっていた。
でも会場の熱気はそんなことを気にさせへんくらいだった。

参加者がとにかく多い。たぶん日本全国から来てるんやろうなというくらいいろんな人がいて、沿道にも地元の人がたくさん出てきている。
地元地域のハーフマラソンとはまるで違う雰囲気で、島ぐるみでお祭りをやっているような感じ、というのが近かった。

こういう場所に自分もいる。それだけでちょっと不思議な気持ちになった。

ちょうど1年前、自分は手術に向かう直前で、病室からボーっと窓の外を見ていた。不安と恐怖しかなかった。
でも、今、ここにいる。いろんな感情が混ざりすぎてうまく言葉にならへん。
わかったのは「やっと始まる」ということだけやった。

カウントダウンが始まり、皆が順番にスタートしていく。

序盤│意外といける

走り出した直後、拍子抜けするくらい順調だった。

「特に問題なさそう」

そう思った。

沿道には地元の人たちがたくさんいて声をかけてくれる。
私みたいな見知らぬおっさんランナーにも丁寧に応援してくれる。
「がんばってー!」「ファイトー!」って声をかけてもらうたびに、素直に気分が上がった。

印象に残ったのは、たくさんの民家から人が出てきて応援してくれることだった。
おじいちゃん、おばあちゃん、子ども、みんなで太鼓を叩いたりフレンドリーに応援してくれる。
地元のレースだと、沿道はどちらかというと静かな応援が多い。それと比べると、石垣島は住民と参加者の距離がとにかく近くてあたたかかった。

市街地付近の沿道では、地元の小学生が沖縄の衣装を着て太鼓を叩いてくれている場面もあった。
これはかなり元気が出る。
こういう沿道の雰囲気が、地元のマラソンにはない離島大会ならではの良さだと思う。

友人と横並びで、ゆっくりしたペースで走った。休憩所に寄るたびに、コーラとか黒糖飴とか、お腹に影響がなさそうなものをたくさん飲み食いした(水分は心配がない、これも経験則)。
そして友人がコース沿いに見えるものについていろいろ説明してくれた。走りながらも楽しかった。

また、コースわきの植物が関西とはだいぶ違う。葉っぱがとにかくでかい。木も草もみんな大きめで、南国に来たんやなあという実感が出てくる。アリもたぶん巨大なんだろう。景色を楽しむ余裕があったということは、それだけ序盤は体に余裕があったということでもある。

中盤│ここからが本番

問題は15キロを越えたあたりから始まった。
足に疲労感と痛みが出てきた。

「やっぱりここからやな」と思った。

ハーフマラソンに出るといつものことだけど、呼吸もきつくなってきた。
ペースを落としたくないけど、足が思うように動かない。周りのランナーに抜かれる場面も増えた。

地味につらいのが足の指の爪だった。練習でたまに隣の指に爪が当たって血が出てしまうことがあって、この日もそうなってしまった。これが走りながらじわじわ効いてくる。
レース中にできることは何もないんだけど、意識するとよけい痛い気がする。できるだけ忘れるようにして走った。

「しばらく歩いて、友人と話しながら楽しんだほうが…」と、頭の中に考えが浮かぶ。

でも、歩かんかった。

歩いたらあかん、という気持ちが強く出てきた。根性論がどうこうというより「歩いたら何かが終わってしまう気がする」という感覚やった。うまく説明できないけど、歩いたらまたガンが再発するんちゃうかとか、あの頃に戻ってしまうんちゃうかとか、そういう変な感情が出てきた。
合理的じゃないのはわかってる。でもそれくらい真剣やった。

途中、給水所でサロンパスのようなスプレーをかけてくれるボランティアの人がいた。
足に吹きかけてもらったら、しばらく冷んやりして少し楽になった。こういうのはじめて見たけど、ありがたかった。あれはよく覚えている。

友人はずっと一緒に走ってくれた。後半は疲れから会話がほとんどなくなって、たまに「もうちょっとや」とか「歩かずに行くで」とか、ぽつりぽつりと言葉を交わすくらい。
それでも「一緒に走っている」というのは心強いのだと思う。いま思えば、走りきれたのは友人のおかげかもしれない。

終盤│あとは進むだけ

残り5キロ、残り3キロ、と距離が縮まっていくにつれて、足の痛みとは反比例するようにペースをあげた。

残り1キロになったあたりでゴールの陸上競技場が見えてきた。

「これ、いける」

足は痛い。なんかもう足の骨にも響く。呼吸も荒い。たぶん足の爪は終わってる、レース後は真っ黒になって剥がれるだろう。でもあとは進むだけ。あと数百メートル走り切れればいい。

競技場に入ると、立派なゴールゲートと鮮やかな芝生が目に入る。
曇り空やったけど、その緑がやけにきれいに見えた。
「やっと来たんやな」という実感がわいてきた。
最後の数百メートル、なんか周りの景色を忘れたくなくて必死に見ていた記憶がある(でも肝心の景色は思い出せない笑)。
友人が後で「最後早すぎだよ」と言っていたけど、自分ではそんなつもりはなかった。
ただ止まりたくなかっただけだった。

ゴール│1月19日を取り戻した

ゴールした。

タイムは速くない。以前の自分と比べたらだいぶ遅い。でも、そんなことはどうでもよかった。

ゴールした瞬間に思ったのは「これで生き返った」ということやった。

うまく言葉にできへんけど、本当にそういう感覚だった。

1年前の1月19日に手術台に上がった。そして1年後の同じ1月19日に石垣島マラソンを完走した。
意味があるかどうかはわからへん。
誰かに説明しても「へー」くらいの反応になるかもしれへん。
友人は「つかれた」「途中からペース速くなったよ」とか言っていて、それはそれで正しい感想やけど、自分の中にあったのはそれとはちょっと違う何かやった。

「失っていた1月19日を、取り戻した」

なんかそういう感覚だった。論理的でもないし、人に説明できるようなものでもない。
でも、ゴールしたその瞬間に感じたものの中で一番しっくりくるのがそれやった。

涙は出ない。

でも、これまでの人生の中でも強く印象に残る感情やったのは確か。あのとき歩かんでよかった。

ゴール後│自衛隊温泉と屋台

ゴールした後、友人と記念写真を撮って、会場をぶらぶらしていたら、自衛隊がお風呂を設営しているのを見つけた。あの災害用の機材を持ち込んで参加者向けに温泉を用意してくれているらしい。
走り終えた体に温泉、これ以上ない組み合わせだった。石垣島すごい。
しかし、タオルや着替えなど持っておらず、準備不足で指をくわえて眺めるだけやった。
次回参加するときは絶対に自衛隊温泉に入る準備をしてこよう、と心に誓った(次回があるかどうかは知らないけど)。

その後、会場の屋台でえびそばを食べた。

達成感がある状態で食べるそばは美味しい。走り終えたという事実があるだけで格別な味がする。
このときのお腹の調子は全く問題なし。食べて大丈夫なときはある程度経験則でわかる。

帰り道、ホテルまで歩いて30分くらいかかるのだが、その途中で足のダメージが「ちょっとまずいかも」という状態になってきた。太ももとふくらはぎが、歩くたびに主張してくる。
応急措置として途中の薬局でフェイタス的な高級湿布を買ってホテルで貼った。
そしてシャワーを浴びてそのまま昼寝。

この昼寝が人生の中でもトップクラスに気持ちよかった。

達成感の中でする昼寝は最高です。こんな幸せな状態で眠れるのは、なかなかない。

次回は、レース後のドライブと、2日目の観光と居酒屋の話です。

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