まさか自分がと思っていた|40代で直腸がんが見つかった体験談

健康

最初は痔だと思っていた。

たまに切れ痔になるようなことがあったため、人間ドックで便潜血検査が陽性になったときも「いちおう調べとくか」くらいの気持ちで再検査に行った。
40代の自分ががんだなんて、これっぽっちも想像していなかった。

でも内視鏡検査のあと、医師に画像を見せられたときになんとなくわかった。
あれは悪性だ、と。
帰りの電車の中でスマホで「大腸がん」と検索しながら、自分でもまだ信じられなかった。

これはそのときの話。

痔だと思っていた

人間ドックは毎年受けていた。健康診断の代わりに、という感覚。

便潜血検査が陽性になったのもそのときで、あまり深刻には受け止めていなかった。
なんとなく痔のような症状があったし「そのせいで陽性になったんだろな」と自分に都合よく解釈していた。この年齢でがんなんて頭の片隅にもなかった。

人間ドックのあと、医師と直接話せる時間があって、そこで「再検査が必要です」と伝えられた。
医師もおそらく私ががんだとは想像もしていなかったと思う。
もちろん自分でも「まあ大丈夫でしょ」という気持ちだった。

人間ドックの検査票

でも後から振り返ると、痔だと思っていたあの症状が直腸がんのサインだった。
症状があったのに気づけなかったのではなく、症状があったのに「別のものだ」と思い込んでいた。
それが怖い。

内視鏡検査で画像を見せられた瞬間

後日、再検査で大腸カメラを受けた。

検査が終わったあと、すぐに医師が画像を見せてくれた。
まだ「がんです」とは言われていない。
でも、画像を見た瞬間、素人目にもなんとなくわかった。これは普通じゃない。

医師も、もうわかっていたと思う。
ただ、生検の結果が出るまではっきりとは言えないから慎重に言葉を選んでいた。
「結果は来週になります。一緒に来られる家族の方はいますか?」

その言葉でほぼ理解できた。
結果を一人で聞かせるつもりがないということは、そういうことだと。

病院を出て電車に乗った。スマホで「大腸がん」と検索していた。
自分でも信じたくなかったのか、それとも現実を知りたかったのか、今でもよくわからない。
ただ、画面を見ながら、なんか覚悟みたいなものが少しずつ固まっていくような感覚があった。

翌日、職場の上司に伝えた。
後から聞いた話では上司はかなり驚いていたらしい。でもそのときは表情に出さず、高額療養費制度の手続きや病気休暇の取り方などを淡々と指示してくれた。それがかえって助かった。
そしてある先輩が自分の話を聞きながら涙してくれた。それは素直に嬉しかった。

家族には内視鏡検査を受けた夜に電話で伝えたが、あまり心配しているような返答じゃなかった。
たぶん、息子ががんと言われても実感がなかったんだと思う。反応の仕方がわからなかったのかもしれない。
なんか、ちょっと寂しかったことを覚えている。

告知から手術まで、地獄の2ヶ月

がんが確定してからが本当につらかった。

正式な告知は11月中旬。
そこからまず、転移の有無等を調べる検査が待っていた。がんと確定したばかりの状態で受けるあの検査はきつかった。CTやら注腸検査やら。注腸検査というのは、バリウムのようなものを肛門から注入して検査台でさまざまな体勢を取らされるもので、身体的なしんどさに加えて精神的にもボロボロ…。

そして検査結果が出るまでの約1週間が本当に地獄だった。

転移しているかもしれない。余命宣告されるかもしれない。
そんなことばかりが頭に浮かんだ。
職場にいてもネットでがんのことを調べて、落ち込んで、また調べて。
ネットの書き込みは悪いことしか目に入ってこないのに、わかっていても止められなかった。

また、気を紛らわすようにお寺や神社に行って祈っていた。そんなことしかできなかった。手を合わせながら、何をお願いしているのかもよくわからなかった。ただ祈っていた。

朝もやの中の神社・鳥居

結果が出る日、診察室の前で待っていた時間は異様に長く感じ、言いようのない不安が頭の中でずっとぐるぐる回っていた。
そして「転移はなさそう」という言葉で少しだけ息ができた気がした。

ただ、手術は1月中旬まで待つことになる。
できるだけ自宅に近い病院で受けたかったので、転院の手続きに時間がかかったからだ。
告知が11月中旬で、手術まで約2ヶ月。その間に検査を受け、転院手続きをして、年末年始をまたいで手術当日を迎えることになった。

今度は別の怖さが来た。

直腸がんは、場合によっては永久ストマ(人工肛門)が必要になると初めて知った。
医師からは「たぶんストマはいらないと思うけど、手術中に状態を見て方針を変えることはある」と説明を受けた。

つまり、手術から目が覚めたとき、永久ストマになっている可能性がゼロではない。

がんの告知だけでも十分すぎるくらいショックなのに、さらにその怖さが重なった。
そして、排便障害が残るのはほぼ避けられないこともネットで知ってまた落ち込んだ。
ストマがなくても後遺症が残るのは確実で、それでも手術を受けなければいけない。その現実が、じわじわとこたえた。

それでも自分に言い聞かせていた。
世の中には自分よりつらい思いをしている人はたくさんいる、自分はまだまだや。

そんなズタズタの精神状態で年末年始を過ごした。

手術当日、自分で歩いて手術室に入った

入院した前日の昼から何も食べていなかった。当日の朝ももちろん食べられない。

早朝に起きて、ただぼーっと、窓の外を見ていた。不安と恐怖しかなかった。
そんなとき、職場の知り合いから「頑張れ」的なメッセージが届いた。
みんな普通に一日が始まってていいよな、とか思いながらも、少し救われた気がした。

手術室には自分で歩いて向かう。中に入ってから手術台に座らされ、背中に麻酔の針を打たれたりしたが、正直あまり覚えていない。
緊張やらなんやらで、半分夢の中にいるような感覚だった。
このときも、麻酔を打つ直前まで、いままで行ったお寺や神社のことを考えながら祈っていた(これだけは覚えている)。
そして意識がなくなった。

目が覚めてまず、お腹に手をやった

目が覚めたとき、最初にしたことはお腹を触ることだった。

ストマがあるかどうか確認したかった。しかし、お腹から何か管が出ている感触はあったが、どうなっているのかわからなかった。
その後、医師から「とりあえずストマは無しで、ゆっくりいきましょう」との声があった。
また意識がなくなった。

術後は6本の管やコードにつながれていて、身動きがほとんど取れなかった。
寝ているだけでしんどいというのはこのことか、と思いながら耐える。
入院生活は特別なことは何もなかったが、腸の癒着を防ぐために、術後翌日に数十メートル歩かされることや、丸1週間食べ物は食べられない、シャワーも4~5日浴びられなかったことがつらかった。

そして、同じ部屋の患者さんのいびきがものすごくうるさくて、夜9時以降は別室に連れて行かれるという事態になっていたのを今でも覚えている。そのくらい壮絶ないびき(笑)。
しんどい入院生活の中で数少ない笑えるエピソードだった。

2年経った今、変わったこととまだ続くこと

手術から2年が経った。
今は経過観察中で、あと3年何事もなければ一応の寛解となる。

生活で変わったことといえば排便障害がある。
だいぶマシになったとはいえ、飲み会や外食のときはお腹のことが頭から離れない。
食べるものやトイレに気を使う。なかなか不便だし、しんどいことも多々ある。
そんなとき、誰かが言っていた言葉を思い出すようにしている。
「失ったものを数えるな、残ったものでやれることを考えろ」的なフレーズ。
誰の言葉だったかちゃんと覚えていないけれど、この言葉にずいぶん助けられている。

考え方は変わった。興味のあることはできるだけやろう、と思うようになった。
やりたいことを先送りにしない。死んだら意味がない、という単純な話だけど、がんになる前は本当の意味でそれを理解していなかったと思う。

沖縄の離島・青い海と砂浜

マラソンで離島を走りに行くようになったのも、そういう気持ちの延長線上にある。
がんがきっかけで走り始めたわけではないけれど「行けるうちに行っとこ」という気持ちは確実に強くなった。
石垣島を走り、宮古島を走った。
次はどこを走ろうかと考えている。

厄年のお祓いと一緒に、人間ドックも受けてほしい

最後に、これだけは伝えたい。

症状があっても「痔やろ」と放置していた自分が言うのも説得力がないかもしれないけれど、それでも言う。

検診はすぐに受けよう。

要精密検査の話をされて放置している人、症状が気になっているのに「まあ大丈夫でしょ」と先送りにしている人。今すぐ予約を入れてほしい。

また、厄年のお祓いを受けるなら、併せて人間ドックも受けてほしい。
少し費用がかかってもオプションをつけて、詳細に検査してくれるプランを選んでほしい。
お祓いを否定するつもりはまったくない。でも、せっかく厄年を意識するなら、身体のチェックもセットでやってほしい。お祓いと人間ドック、両方やれば鬼に金棒。

私は人間ドックの検査で引っかかったから治療できた。あのまま検査をしなければ、症状があっても自分では気づけなかった。検査が教えてくれた。

健康が一番大事です、ほんとに。

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